2020年6月1日月曜日

見えてくるもの

またまた久しぶりの日記

あたふたと過ぎ去る日常から一変、
2月の末からちょっとずつ不穏な空気が漂い始めて
3月の末には一気にその色は濃くなってしまった。

仕事も家でするようになって、
家の中と自分と向き合う時間がとても増えた。
後回しにしていた本当は大切なことも
もう一度考えるようになったり、
人との関わりや、
相手が居ての自分だなと改めて気づいている。

直接会えないからこそ違う角度から感じて
毛布のように暖かくなる優しさ。
忙しい毎日の中に入るといつも忘れてしまう
の毛布のような暖かさの大切さを身に沁みて思い出していた。
毛布で形成されてきた自分だなとも思う。(毛布......)


東京にきてからもう...7年くらい経つ。
23才の頃だったと思うからそのくらい。
私は案外物持ちがよくて、(ケチなのかな...)
あとあんまり趣味が変わらないというのもあって
服も家具も小さな細々としたものも
長く同じメンバーだなあと思う。
お風呂場、そして外という環境に置かれても
動いてくれている洗濯機くんも
鉄人メンバーだと思う。


ずっと家にいると、
そこにみえてくる身の回りのものがある。
ものはどうしても壊れて行くから、
去年は結構さよならしたものも多いけど
それでも身の回りに残っているものたち。
一緒にいる時間がさらに多くなり、
なんで大事なんだっけかなと
ふと思い返す時間が増えている。

捨てられないもの、
いつも近くに置いておきたいもの、
たまに引っ張り出して
その時の自分と一緒に思い出したいもの。
それがあるとその人を思い出せるもの。
もの、ばっかりじゃないけどね。

思い出は目に見えないから
人はお土産を買ったり、ものを買うんだろうか。
.
.
.
.
と、ここまで書いて終わっていた5月初旬の日記。
しばらく、目の前をどんどん流れていく
画面の上の文字を見すぎていて
私はあんまり文章が書けなくなっていた気がする。
文字や自分の思いを書き記すって、
誰かにとってはどうでもよくて
私にとっては、
誰にも告知しないピアノの発表会みたいに
ちょっとだけ心臓がふわっと高揚する。
だからちょっとだけ特別なのだ。





タイムスリップ

昨日ふと、上京する前後くらいによく訪れていた
古道具屋さんのインスタを見返していた。

昨日は久しぶりに電車に乗って人に会って、
この二ヶ月ほとんど一人で暮らしていた生活から、
急に人と話す時間がやってきて
多分気持ちがブワッとなって、
両面の生活をちょっと離れたところから
俯瞰して見たんだと思う。
そしたら急にその間に落ちて見えなくなっていた、
今の生活につながる原点を思い返したのだ。

そして立ち返ったのがその古道具屋さん。
今はもうお店は閉じていて
“訪れる”ということはできないけれど
とても好きな場所だった。
場所は千駄木にあって、
マンションの一階にお店を開いていた。
千駄木駅から直接いくこともあったし、
根津からも谷中からもいくこともあった。


お店の軒先にはちょっとお手頃な小物や棚、
木箱なんかが置いてあってまずここで立ち止まる。
扉を開けると所狭しに並べられた
家具や雑貨がたくさんある。
食器棚の扉の向こうにも、
小さな小さな小物がある。


まだ埼玉からここを訪れていた私は、
東京に住むようになったら
絶対ここで家具を買おう。ひっそりと決めていた。


今も作業机と椅子はそのお店で買ったもの。
長細くて、分解ができる誰かが手作りした机。
背がU字にカーブしていて、
日本ぽいような北欧っぽいような
小さな肘掛がポツンと二つついている椅子。
お店のお姉さんが、
初めての一人暮らしの部屋まで配達してくれて、
ここがねこうなってね、と
床に座り込みながら説明してくれる姿を
今でも覚えている。

あそこで買ったものは
そのあとも少し増えたけれども
できたら最後までこの机と椅子は
一緒に歩んで行きたいなと思っている。

お姉さんは、お店はやめたけれど
古道具屋は続けている。
決まった場所に行けば必ず会えるということは
できなくなったけど、私はいろんなものをもらったなと
一方的に感謝が尽きないのだ。

誰にも言わないけど、
言い表せられないけど、
大事なこと。

目の前にあるものに飾り付けをするんじゃなく、
思ったままにそこに出してみること。
大事だったはず。
何だかちょっと
見栄っ張りになってしまった自分に戒めの言葉。



ネグ子さんは元気だろうか。
また会いたいな。
私は今でも千駄木のあの路地に、
古道具Neglaにタイムスリップできる。